レッスン体験記~音楽とは何か?

昨日は今年初の音楽レッスン、そして今日は昨日と連続して特別授業、音楽論のレッスンをしていただきました。

昔から「音楽とは何か?」とちょくちょく考えてはいましたが、ここ数か月、改めて考えることが増えました。

今回、音楽論のレッスンを受けて新たな発見があったので、共有したいと思います。

※ちょっと今回は中途半端な内容になってしまうことを先にお詫びします。
 まだ自分の中で答えに至っていないことと、先生から教わったことをそのまま書いたところで、解釈が正しく伝わらないことを危惧したためです。

音楽って楽しいもの?

「音を楽しむ」と書いて音楽と言いますが、先生のレッスンを受けていて、「音楽とは、必ずしも楽しいものとは限らない」と思うようになりました。

それがここ数か月、改めて考えることが増えた理由です。

ちなみに、これは、「楽器を練習する中で、伸び悩んだり、壁にぶち当たることもある。そういう時期は苦しいけれど…」と言った話ではありません。

先生から音楽を教わるとき、伝統や師匠など、先人たちへの尊敬を特に感じます。また、音楽や、楽器に対する敬意も同様です。(ちなみに、先生自身かなり厳しく音楽と向き合っていますが、私やほかの弟子にそういったことを強要することはありません。)

そこで教わる話には、「楽しい」という感覚とはかけ離れたものも多いです。

「そういった苦しさの先に極上の楽しみがある」と考えたくもなるのですが、どうもそうではない様子。

そうなると、次の疑問がわいてきます。

「楽しくないなら、何故人間は音楽をしようとするのか?」

一つの解釈

さて、ここで先生から教わった「音楽」についての解釈を書かせていただきたいと思います。

ですが、その前に少しだけ注意していただきたいことがあります。

それは、文面のまま解釈しないことと、独自の解釈をしないことです。

たとえて言うなら、「戦争を経験した人」と「戦争を歴史の授業でしか知らない人」の言う、「戦争はいけない」という言葉は、意味も、その重みも全く異なるのは想像に易いと思います。

今までの自分は、「音楽にはエネルギーがある」と考えていました。(今もですが)とはいえ、すべての音楽に等しくエネルギーがあるわけではなく、強いエネルギーを持つ音楽もあれば、ほとんどない音楽もあると思います。(全くないものもあるかも知れません)

それに対し、我々が「どのように音楽のエネルギーを受け取るか?」ということも重要です。

例えば、私が「失恋の悲しみ」を戯れ に (ふざけて)即興で歌ったとして、その曲にはエネルギーがあるでしょうか?でも、つい最近失恋して、失意のどん底にいる人が聞いたら、慰められたり、元気を受け取る可能性があります。この場合、音楽のエネルギーではなく、聞き手が独自に作り出したエネルギーだと思うのです。

同様に、「青春時代に聞いた曲」「仲間と~した思い入れのある曲」は、音楽のエネルギーに関係なく、別のところからエネルギーを受け取る訳です。

上記も踏まえて、先生は以下のように教えてくれました。

音楽には、以下の4つのを持つ。
1)エネルギー(カロリー)
2)栄養(ビタミンやミネラル等)
3)甘味
4)想起(プラセボ)
1)、4)は私が考えていたことと同じものです。(それを「プラセボ」と表現したのは流石と思います)

3)については、話がややこしくなりそうなので一旦割愛しますと、注目すべきは2)です。

音楽は、心の栄養?

先生曰く、「食べ物」はもともと、生命を維持するために必要だったものが、そこに「おいしさ」や、それ以外の快楽(家族や友達等と一緒に食事する楽しみ等)が出てきて、現在では「生命の維持」より後者が優先されている、と。

それが一概に悪いとは思いませんが、確かに「体にいいかどうか」よりも「おいしいかどうか」等の軸で判断することの方が多い気がします。(逆に、「体にいいかどうか」は、わざわざ考えないとそこに至らないと思います)

音楽も、心や思考にとっての栄養がある。だから、人は「音楽=音と楽しむ」でないとしても、歌ったり演奏したり、音楽を聴く、これは確かに的を射ていると思います。

※じゃぁ音楽がなかった時代は…というのはあえて考えないこととします。人類が音楽を「発明」したことで、人類は新たな栄養源を「獲得した」と考えるのが筋かと思います。

また、「栄養=必ず体にいいもの」というわけでもありません。塩分は必要ですが、摂り過ぎれば病気になることは皆さんご存じかと思います。

音楽の持つ栄養も同様で、「少量なら体にいいもの」「沢山摂取したほうがいいもの」「毒(これを栄養と言っていいのかわかりませんが)」等、様々です。
商業主義的な音楽は、ジャンクフードに近いように思います。

次の疑問

音楽が心の栄養である、ということは私的に非常にしっくりくるのですが、そうなると次の疑問が出ます。

栄養のある音楽と、栄養のない音楽の違いです。

特に、4)プラセボが、話をややこしくします。その音楽に栄養がなかったとしても、聞き手がその音楽を聴くことで体内で栄養を合成してしまえば、効能としては同じになってしますからです。(余談ですが、人間の脳は全ての薬と同じ物質を脳内で合成できるそうです)

ここまでくると正直分けて考えなくてもいいんじゃない?と思ってしまいます。脳内で心の栄養を合成することが出来るなら、わざわざ摂取しなくてもいいじゃない、ということです。この辺りは、「食べ物」と「音楽」の違いかも知れません。ですが、私は音楽が好きなので、やっぱり音楽から栄養を摂取したいなぁ…と思うので、気になるのです。

ちなみに、クラシック=栄養のある音楽とも限りません。例えばモーツァルトは「あいつにこの曲吹けるかな~」みたいな適当な気持ちで作った曲もあります。また、曲自体に栄養があったとしても、演奏者がそれを壊すような演奏をすれば、やはり栄養はなくなります。逆に、栄養のない曲に演奏者が栄養を注入することもあり得ると思います。

感情

冒頭でお伝えした通り、この記事に落ちはないです。(書いている私自身、まだ答えにたどり着いていません。また、先生から教わりましたが先生からそれが総てだともいわれていないですし、逆に自分からこれ以上聞こうともしていません。それは、今先生に答えを教えてもらったところで、自分が理解しきれないだけならいいのですが、誤った捉え方をしてしまうことを危惧しているからです)

なので、最後は私の感想というか予測になってしまうのですが、音楽に込められた

「感情」

(作曲者または演奏者の)が大きく関係しているのではと思っています。感情の中には、強いものもあれば弱いもの(けれど普遍的なもの)、いろいろなものがあると思います。

こう考える理由は、若い頃好んで聞いていたアーティストは、バンドなら一体感、ソロアーティストなら自身が作詞作曲していた人が多い、というのが理由の一つです。他人が込めた感情を表現するのは簡単ではないですが、自分が込めた感情なら容易く(までいかなかったとしても、比較的容易に)表現することが出来ると思うからです。

また、私は激しめのメタル(Djent系は大好物です)なんかも好んで聴くのですがそこにあるのは情緒的というより、感情的なものが多いと感じます。

最後に

私の音楽探求は始まったばかりなので、皆さんにあまり多くを伝えられないのが残念ですが、こういった話に興味のある人はいますでしょうか?

現代の音楽の価値観は、多分に歪められていると感じており(例えば、クラシック=良い音楽というのも一つのゆがんだ解釈だと思っています)、その答えは恣意的ではなく、長い間人類と共にあった音楽の中にあると感じています。

※有名な曲の中には、商業的な計略によるものもあります。また、長く伝えられているから良い曲、とも言えないと思います。事実、「四季」で有名なアントニオ・ヴィヴァルディは死後長らく忘れられていて、バッハの研究の中で復活しています。長く伝えられている理由は、単純に「伝える人がいたから」の可能性があり、後世に残らなかった曲=よくない曲ではなく、単に「伝える人がいなかったから」の可能性もあるのです。

そんな中、「民族を通して」何世代も伝えられ、その民族のDNAに刻まれるような音楽には、特別な力(=希少または莫大な栄養素)があるのではないかと感じています。ちょっと大げさな表現をしましたが、「日本人なら米と味噌汁」が合うように、長い時間をかけて進化(または変化)してきた人間にピッタリと合うような「栄養」が、民族音楽にはあると思うのです。

※ここで注意いていただきたいのは、我々がよく知る日本の歌も、西洋音楽の影響を受けて比較的近年作られたものだったり、または伝統的だと思っていた音楽の中にも、近代化していたりそもそも特定の一部地域だけのものだったりすることがあります。

もし同じようなことを考えている、でも答えが見つからない、考えがまとまらない等ありましたら、一度先生のレッスンを受けていただけたらと思います。

数回のレッスンでは答えにたどり着くのは難しいと思いますが、それでも何らかのとっかかりを得られるのではないかと思います。(そして将来、弟子の集いとかで語り合えたら非常にうれしいです)

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